世田谷美術館 『塔本シスコ展 シスコ・パラダイス かかずにはいられない! 人生絵日記』 に行ってきました。
世田谷美術館で開催されている『塔本シスコ展 シスコ・パラダイス かかずにはいられない! 人生絵日記』 を観に行ってきました。
世田谷美術館は小田急線の千歳船橋駅と東急田園都市線の用賀駅の中間くらいにあるのですが、せっかくなので降り立ったことのない小田急線の成城学園前駅から、散歩がてら歩いて行くことにしました。 この日はどんよりとした空模様で散歩日和とは言い難かったのですが、雨が降らなかったので良かったです。
成城六間通りを東宝スタジオを横目にひたすら歩き、世田谷美術館のある砧公園に向かいます。 はじめに調べておけばいいものの、ノリでルートを決めたため意外に遠く、40分くらい歩きました。
世田谷美術館に到着。
チケットカウンターを抜けるとシスコさんがお出迎えしてくれます。 この着物を着たシスコさん(顔写真が貼られたマネキン)が唐突に現れるので少しビックリしてしまいました。
素朴画の画家 塔本シスコ
塔本シスコ(1913〜2005)は、熊本県出身の日本の素朴画の画家です。 独自のタッチで鮮やかに描かれた自由な画風は、同じく素朴画の山下清の作品に通じるものを感じます。
実はこの展示に行くまで塔本シスコという画家を全く知らなかったのですが、感想はというと、めちゃくちゃ良かったです。
副題に「人生絵日記」とあるように、日常の出来事や、幼少期の思い出、家族などをモチーフとした絵が多く、観終わった時には一人の女性の半生を描いたドラマを観たような感覚となりました。
自由な世界を表現
塔本シスコさんは生後間もなく、養女となり、養父の抱いていたサンフランシスコへの移住の夢から、シスコと名付けられます。小学4年生の時に稼業が傾き、農作業や子守のために退学。その後、いくつかの奉公先で働き、20歳の時に結婚します。
結婚後、一男一女を得て、子供たちと出かけスケッチを楽しむ生活を過ごします。ところが59年に夫が事故で突然亡くなり、深い悲しみから、48歳の時に脳溢血で倒れてしまいます。このリハビリテーションのために、石を掘り始めたシスコさんは、53歳の時に本格的に大きなキャンバスに油絵を描くようになります。少しずつ元気を取り戻したシスコさんは、その後、91歳でこの世を去るまで、絵筆を離すことはありませんでした。
小学校を中退したシスコさんは、美術教育と縁をもつことはありませんでした。50代から独学で絵を始めたからこそ、形式にとらわれることなく、自身の自由な世界を描くことができたのかもしれません。
絵日記のように描かれる作品
シスコさんは日常の出来事や身の回りのものを作品にすることが多く、展覧会では絵日記を見るようにシスコさんの人生に触れることができます。個人的には家族と行った公園や旅行などを描いた作品に、印象的なものが多かったです。
上は夕食後にくつろぐ娘夫婦の様子が描かれた作品と、家族で淡路島へ行った時の作品。娘夫婦は家族の自然な姿が、淡路島は楽しそう姿が描かれています。
作品も次第に発表の機会が増え、順風満帆なシスコさんでしたが、悲劇が訪れます。 96年に左上の作品で描かれた娘さんが病気で亡くなられたのです。 落ち込み、部屋でふさぎ込むシスコさんでしたが、息子さんがコスモスを見に、シスコさんを連れ出します。 それが下のコスモス畑を描いた作品の制作に繋がり、絵を描くことでシスコさんは次第に元気を取り戻していきました。
そういったエピソードもあり、この作品には家族の絆や愛情を感じ、とても心を打たれました。 アラフォーになり、家族の繋がりを感じるような作品に弱くなりましたね…。
また、まさに絵日記のように文章が添えられた作品がたくさんあるのですが、その文章ひとつひとつがとても素直で魅力的です。下の絵は、88歳の誕生日に二人の孫から貰ったプレゼントを描いた作品ですが、このような文章が添えられています。
「ミアからもらった大きな花ビンと研作君からもらったカサブランカや色々な花です。 シスコ88才のたんじょうびのプレゼントですよう。 ほんとうにありがとう。うれしいよう」
変に難しい言葉を使ったりしないからなのか、まっすぐに喜びが伝わってきて、ジーンとしました。このような文章が添えられた作品がたくさんあり、いちいちジーンと、言葉にできない感動をしてしまいました。
展覧会を見終え、外に出ると、曇っていた空から青空がのぞいていました。
絵画から立体まで約200点にも及ぶ作品が展示されとても見応えがありました。先にも述べましたが、シスコさんの半生を描いたドラマを観たような感覚です。とても充実したものでした。
とても良い休日を過ごすことができました。オススメの展覧会です。